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​Daigokumon

第一次大極殿院

大極門

組立⑤_屋根2

このページでは、初重平瓦葺完了から南門(大極門)完成までを紹介していきます。

初重は一層目の屋根ですね。平瓦葺きがほぼ完了した状態の写真が下です。軒平瓦と平瓦が設置されています。軒平瓦がピタッとはまる様に、形を合わせて、瓦刳り(かわらくり)が行われていたことが分かります。

瓦が増えると赤白に黒も混じって、色のメリハリがついてきました。

まだ、連子窓(れんじまど)は緑色に塗装されず、白木のままです。

​左上に大工さんが写っていますが、南門(大極門)の大きさが分かるかと思います。

​実は初重の瓦の下には銅板シートが仕込まれています。これは雨水を染込みにくくする目的のものです。初重の方が二重から垂れてきた分の雨水も受けるので、より厳重に防水する必要があるのですね。

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内部の工事も進んでいます。下の写真は二重(二層目)の屋根の近くです。上に三角の屋根の形が見えます。

梁(はり)の上に束(つか)が立てられて、一番上の棟木(むなぎ)を支えている様子が分かりやすい一枚です。

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丸瓦が載せられると下の写真のような感じになります。軒平瓦の間に軒丸瓦が置かれていく最中です。

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きちんと葺き終わった部分は下の写真のようになります。綺麗に並べられた直線美をご堪能ください(笑)

​建築の美は幾何学的な感じです。国によっては、建築史は美術専攻の一部にあるとか。(日本では理系、工学部の一部です)

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さて、下では、地上部分で進んでいる作業を紹介していきます。

頭貫(かしらぬき)から、小天井までの間、一~四の肘木(ひじき)や間斗束(けんとづか)の間の空間(蟻壁(ありかべ))に木材がはめ込まれつつあるのが分かります。

この部分は壁にするので、木材をはめた後に、漆喰(しっくい)などで塗装していきます。

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下は、別の角度から撮影したものです。天井部分の格子の赤白コントラストが美しいですね!完成がイメージできるようになってきました!

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下は隅木蓋瓦(すみぎふたかわら)といい、隅木(すみぎ)の蓋として、設置される瓦です。

鬼瓦の下に軒丸瓦が二つ並びますが、その下に設置されます。切れ込みが入っているのは、奥の平瓦にぶつからないためです。真ん中が盛り上がっているのは、雨が端に流れ落ちるようにです。真ん中の穴は設置の際に針金を通すためのものです。

手前にも唐草紋様がデザインされていますが、これも出土したものになるべく近づけるべく、奈良文化財研究所で研究されたものです。唐草紋様のつながり方等、細かな模様も訂正がはいり、より古代らしいデザインに作り直しています。

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下の写真は、初重の屋根の丸瓦の上に鬼瓦も設置された状況です。平城宮式鬼瓦ⅠA式と分類されていて、鬼神の全身像がかたどられているのが特徴です。全身像の鬼神がデザインされているのは、平城宮でもこれだけです。また、奈良時代以前の鬼瓦は鬼模様ではありませんでしたので、鬼神デザインも日本初!という意味があります。

普通、鬼瓦と言ったら、鬼の顔がデザインされているものを思い浮かべますが、それは奈良時代半ば以降に出現するものなのです。

​ちなみに、近世以降に多いのですが、奈良時代も鬼神以外の各種デザインもあります。例えば鳳凰紋様(ほうおうもんよう)とか、唐草紋様(からくさもんよう)とか。手抜き⁉の無紋(むもん)なんていうものもあります。

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鬼瓦の裏はこんな感じになっています。中央に2か所明けた穴に太い針金を通して、括り付けられているのが見えます。二重の屋根と同じですね。

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​下の写真は、鬼瓦の下に、隅木蓋瓦(すみぎふたがわら)を装着した様子です。名前の通り、隅木に蓋をする瓦ということですね。上からの雨や雨だれが隅木に直接当たりにくくなり、腐るのを遅らせる役割と考えられています。単体での写真は上で紹介した通り、奥に大きく切れ込みが入ったものです。

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下は、鬼瓦の後ろに積んだ、熨斗瓦(のしがわら)が、棟にどのように接続するかを狙った写真です。初重隅棟熨斗(しょじゅうすみむねのし)と呼ばれる部分です。高さがきちんと揃うように積まれていることが分かります。高欄地覆熨斗(こうらんじふくのし)も写っています。

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別の角度から見るとこのような感じです。初重隅棟の柱盤水切(はしらばんみずきり)・面戸(めんど)・熨斗(のし)を撮影しています。

柱盤水切は、中央の赤い木材、熨斗は右の隅棟を作るために七重に重ねられた瓦を指します。面戸は熨斗の下に置かれた瓦で、隙間を塞ぐためにカットされています。形によって、鰹面戸や蟹面戸という(美味しそうな)名前で呼ばれることもあります。鰹節や蟹の甲羅に似ているための呼び名らしいです。

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二重の扉をつけるあたりから、隅に向けての様子はこのようなな感じです。柱盤のすぐ外側にも面戸瓦が設置され、雨が上手く下に流れるように設置されていることが分かります。未彩色の連子窓(れんじまど)と、内部も少し見えます。

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大棟の端、鴟尾(しび)には拒鵲(きょじゃく)という、ツンツンがつきました。このツンツンは、鳥がとまるのを防ぐ目的でつけられています。完成後の掃除も難しい場所ですし、せっかくの金メッキが鳥のフンで汚れるのは避けたいですしね(汗)。

この拒鵲ですが、鴟尾の上に拒鵲板という、金銅製の板に穴を開けて、針金をたくさん差し込み、最後に板ごと鴟尾の上に留めて作っています。ただ、この付け方は見た目を重視したもので、古代に拒鵲はあったことが、分かっていますが、このように別に拒鵲をつけた拒鵲板を留めていたかは分かっていないので、現代工法で補った部分になります。

第一次大極殿院大極門(南門)の大棟に取り付けられていたもの(★としましょう)を考える時に二つの問題がありました。一つ目は、★が鴟尾か鬼瓦かという問題、二つ目は★が瓦(土)製か、金銅製かという問題です。

一つ目は、建物の格から、鴟尾と推定されています。奈良時代、大極殿など格の高い建物には鬼瓦でなく、鴟尾が設置される例が多いためです。ただ、大極殿から鴟尾は出土していないのです。おそらく遷都で新たに大極殿が作られた時に再利用されたと考えられます。この場合、金銅、金属製であれば、最後に溶かしてしまえば、他のもの(銭も作れます)に転用することができます。このため、出土していなくても問題はないことになります。

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鴟尾の下、瓦まで少々隙間が空いている部分は、がっちり漆喰で塞いで、雨水が染み込まないようにします。

下は大棟に鴟尾を載せたさまを狙った写真です。鴟尾の周りに這っている赤銅色の線は避雷針で、辿ると下までつながります。

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​下の写真は、初重と二重双方の、斗栱間(ときょうかん)塗装仕上塗(とそうしあげぬり)と、斗栱間漆喰中塗(しっくいなかぬり)が済んだ様子です。

と言っても、難しいので、解説します。斗栱(ときょう)=組み物という意味です。つまり、斗栱間というのは、組み物と組み物の間の白い壁のことです。塗装仕上塗と、漆喰中塗は、どちらも壁を白く塗る作業を指します。何回にも分けて、漆喰を塗り重ねていきます。

​左上が初層の屋根、右の真ん中の写真が、二層目の屋根の下で、左下は更にもう一回塗り重ねた状況です。

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初重の壁も塗りあがってきました!扉がまだついていませんが、完成後に見上げたらこんな感じになりそうですね!

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二重の屋根では、木口金具(こぐちかなぐ)と呼ばれる金具たちが取り付けられていました。下の写真は屋根の隅ですが、手前(外側)から、飛檐隅木(ひえんすみぎ)の木口金具、地隅木(じすみぎ)の木口金具、二重二の隅尾垂木(にじゅうにのすみおだるき)の木口金具、二重一の隅尾垂木(にじゅういちのすみおだるき)の木口金具が取り付けられています。

​右側の正方形と丸の金具は、正方形が飛檐垂木(ひえんたるき)の木口金具、丸が地垂木(じだるき)の木口金具になります。

これらの金具の意匠(模様)は奈良文化財研究所の復原研究に基づくものです。奈良時代の寺院を参考にしながら図案が作成されました。

一つ一つ、微妙に模様が異なります。

この写真は、背景画像と同じものですが、なかなか美しく撮れていますね!

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少し違う角度から撮影したものです。屋根の端から端まで(軒(のき))を納めています。

この写真では鴟尾の手前の妻面に拝み金具(おがみかなぐ)が取り付けられているのも分かります。

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さて、金具の単体での写真もご紹介していきましょう!真ん中の上から、飛檐隅木(ひえんすみぎ)の木口金具、地隅木(じすみぎ)の木口金具、二重二の隅尾垂木(にじゅうにのすみおだるき)の木口金具、二重一の隅尾垂木(にじゅういちのすみおだるき)の木口金具でした。

飛檐隅木の木口金具の横には、飛檐垂木の木口金具(右上は裏)が、その下には地垂木木口金具・・・という順番で並べてみました。

​似ている意匠ですが、よく見比べると異なるのです。

これらの意匠は、宝珠形(ほうじゅがた)・対葉形(たいようがた)・C字形(しーじがた)の三種類が組み合わせられています。宝珠形は玉ねぎのような宝の珠の形、対葉形は鼻の下のチョビ髭のような対照的な唐草紋様、C字形は、英語のCを内側に巻き込んだような唐草紋様です。

                         対葉形

    宝珠形             C字形

これら三種類を、必要な木口金具の大きさに合わせて、それぞれデザインしています。この意匠も奈良文化財研究所初の研究成果です。

この金物は、土で型を作って、その中に金属を流し込んで製作されたと考えられていますが、ちゃんと唐草紋様の先まで、液体状の金属を流し込んだうえで、余計な気泡が金属に張り込まないように作らないといけません。

​この時代の金属加工の技術がかなり高いものであったことが分かります。

ちなみに、唐草紋様は唐(中国)から伝わってきた草の模様という意味です。

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飛檐隅木の木口金具→

 地隅木の木口金具→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二の隅の

  尾垂木木口金具→

一の隅の

  尾垂木木口金具→

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飛檐垂木の木口金具

地垂木の木口金具

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下の写真は、鴟尾(しび)の手前の妻壁(つまかべ)に取り付けられる拝み金具(おがみかなぐ)です。なんというか、唐草紋様のあるクリオネみたいな形ですね(笑)。取り付けると別のものにも見えてくるかも・・・。

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初重の扉をつけるための金具です。名前は扉軸摺金物(とびらじくすりかなもの)と言います。左が上、右が下の取付状況です。

大極門は金具がついていますが、岩を削って軸摺穴を開けていることもあります。飛鳥資料館(奈良文化財研究所の展示施設)の近くの山田寺や、香具山のふもとの藤原京資料室(奈良文化財研究所の一部)の庭園展示では、この軸摺穴を見ることもできます。扉の軸の太さによって、穴の大きさは変わります。

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これも初重の扉をつけるための金具です。上の扉軸摺金物(とびらじくすりかなもの)に嵌めこまれる金具です。扉の端にある回転軸(かいてんじく)の両側に付けた後で、扉軸摺金物に嵌め込みます。

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下は、台輪金物(だいわかなもの)と言い、左が隅(すみ)、右を平(ひら)と呼びます。台輪金物は、柱同士をつなぐ頭貫(かしらぬき)の上に設置される台輪に取り付けられる金物です。隅と平は取り付ける場所で呼び分けています。台輪を装飾したり、保護したりする目的で取り付けられます。やはりあるとカッコいいです。

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下は、風鐸とその付属品です。これを組み合わせて、門の四隅に取り付けます。風の強い日は結構な音で鳴り響きます。ガランガラン・・・という音が近いかと思います。そして、数十年すると、やっぱり劣化するので、たまーに強風に煽られて落ちます。

・・・ということで、風鐸の下は歩かないようにしましょう(笑)

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この風鐸がどこにつけられるか分かりますか?

​答えは、飛檐隅木の木口金具の下になります。矢印で示したところです。

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という訳で、風鐸が取り付けられた後は、下の写真で写している地隅木の木口金具は、このように真正面からは撮影できなくなってしまいます。​(そういう意味では、下のカットは貴重な一枚です。)

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下は先ほど、クリオネのような・・・と表現した拝み金具の取付状況です。遠くから見ても、やはりクリオネ・・・いや、七福神の福禄寿(頭の長い仙人)の頭部分のようにも見えます(笑)。

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さて、門の内部も工事が進んでいます。外から見えない部分は塗装しないので、木の色ですね。

下の写真は中心部分です。両側に垂木がたくさん並んでいるのが見えます。この垂木、長さがバラバラですね。

あえて、切り揃えていないのだそうです。

理由は・・・修理の時に外側から雨なので腐食する→修理で腐った部分を切り落とす→切り落とした部分だけ、内側から垂木を外に引き出して、外の垂木の長さを揃える・・・のだそうです。

 

修理の時のことも考えてのバラバラなのですね。

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同じく内部を少し違う角度で撮影した一枚です。

連子窓から外の明かりが見えます。上の写真よりも高い位置、二階部分の足場から撮影しています。

中央の金属部品は、現代工法による補強が目的のものです。

 

古代+現代工法が南門復原工事のコンセプトということです。

・・・因みに朱雀門は、中世近世の技で、似た形の門を復元していました。ただ、やはりそれでは、現代の建築基準法を満たさなかったということで、現代工法を後から加えました。

中世、近世から発達したという​​技は南門には使っていません​!
100年後に技術者が建物を見た時に、時代の違いが分かるためだそうです。

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妻壁の足場が取れて、完成に近づいた南門です。中央の赤い部分は内部への入口になります。上の内部の写真はここから入り込んで撮影したものです。

そろそろ素屋根を移動させるための足場撤去が近づいています。

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下の写真では、既に足場が解体され始めているのが分かりますか?

まだ、木の板が置かれていますが、初重(一層目)の屋根が見えています。

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少し近づいてみましょう。一ヶ月くらいの間に大分工事が進んでいます。

変化している所は・・・二重の連子窓の塗装、高欄・台輪金具・風鐸の取付、そして、初重の扉の取付です。​

二重の連子窓は緑に塗装されている部分です。高欄はベランダの手すりみたいなものが加わった所です。端にこれから金具がつく予定です。

台輪金具は、柱の上の金色の金具です。建築用語を使うなら、頭貫の上に乗せる台輪に取り付けられた金具です。

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風鐸が取付いた様子がより見えやすい一枚が下になります。屋根の端に取り付けられる鐘が風鐸です。

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初重の扉が取付いたところです。左が大極殿院の外側、右が内側になります。四隅の八双金物(はっそうかなもの)や軸摺金物はついていますが、閂金物や乳金具・長押釘隠し金物などは、まだついていません。

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下は、二重窓の扉が取付いたところです。この扉には、乳金具がついています。乳金具は金色の丸いものです。

両端の金色の金具が、台輪金物(平)と呼ばれる金具です。

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​古代にはありませんが、雷で燃えないための避雷設備が設けられています。出来上がり後は見えませんが、こんな風に取り付けられているんですね。他にも、電気設備なども外からは見えないように配線して取り付けられています。

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おや、鴟尾を向いて鳥がとまっています!カワイイですね。

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さて、そろそろ足場解体の時が迫っています。その直前の様子をご紹介していきます。

​高欄木口金物と初重の風鐸がついた状態です。

扉の金物は足場がなくても取り付けられるので、まだついていません。

​高欄は、縁側外側にある欄干の手摺です。高欄木口金物は矢印で示しています。

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実は高欄の横木には一つ一つ別の名前があります。一番下が地覆、真ん中にあるのが平桁、一番上のが架木(ほこぎ)です。それぞれの木口金物も少しずつ形が異なっています。一番上が縦長の八角形、真ん中が横長の長方形、一番下は正方形に近い形です。右は単体の写真です。

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初重の風鐸も取り付けられていました。毛布にくるまれているのを、一瞬だけはがして撮りました。おそらくこれから先も含めて、一番綺麗な状態です。

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木口金物たちは右のような釘で留めていきます。

実は、釘にも数種類があるのです。

三種類並べると、なんかカワイイですね♪

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風鐸が、床すれすれになるように計算されて(足場が)作られているので、擦らないための毛布ということが良く分かる一枚です。

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扉に付ける閂金物も、単体で撮影しました。矢印部分に扉の板を置いて、釘で留め、更に釘を隠していきます。

この並び順、なかなか素敵ではないですかww

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瓦フリークの方にしか分からないと思うのですが・・・下の写真は神戸の博物館で瓦の展覧会をやった時の図録の表紙と同じようなカットで撮影してみたものです。竹中大工道具館の「千年の甍」展です。・・・似てませんか?

​*但し、鬼瓦は研究でバージョンアップしています。また、金具の色も銅の色になっています。

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さて、これが一番よく撮れた二重の屋根になります!

素屋根はありますが、ここまで近くから屋根全景が写せる機会は、この先少ないですし、一番汚れが少ないのはこの時になります。

​綺麗ですね!!!

「あおによし 奈良の都は咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」という有名な歌が『万葉集』3-328にありますが、この「あおに」は「(瓦の)青」と「(丹土塗の)丹」なんだそうです。

この歌、平城宮いざない館のテーマソングにもなっていまして、なかなか素敵なメロディーもついているのですが、実は奈良で読まれたものではなく、九州の太宰府で、当時の都の奈良を懐かしんで詠まれたものと詞書にあります。

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竣工式は2022年3月の予定ですが、これは2021年5月中旬に撮影です。この後、素屋根(覆い屋)を少しずつ動かして行ったり、一階部分の金物(長押釘隠し金物。右下の写真)などの装飾をしていきます。

以上で組立過程をあらあらご紹介してきました。建築の専門用語だらけで、理解が難しかったかもしれないのが気がかりでもありますが・・・。

素屋根移動後や竣工の写真の紹介はまた別ページ紹介します!

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