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​Daigokumon

第一次大極殿院

大極門

​組立④_屋根1

このページでは、二重屋根、​上層の屋根部分を作り上げる様子をご紹介します。

 

奈良時代の屋根は、木組みの上に土を載せ、その上に数種類の瓦を積み重ねていたと考えられています。しかし、重すぎることもあって、今は木で桟(さん)を組んだ上に、南蛮漆喰(なんばんしっくい)を使って、瓦を積み重ねています。

下の写真は、木組みが終わった段階の二重屋根です。

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​初重では飛檐垂木(ひえんだるき)が取り付けられています。飛檐垂木は、先が正方形の切り口で、中心から左右にずら~と並んでいる部分です。(下に並べた地垂木は切り口が円でした)

右側の鉄骨の足場の間から、連子窓も見えます。

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更に初重飛檐垂木化粧裏板が取り付けられたのが下の写真です。上に板が加わったところが、化粧裏板です。

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「化粧」は完成時に見えるという意味でした。下から見上げると、四角い棒の間に白い板が見えます。これが、化粧裏板です。白く塗られています。赤と白のきれいなコントラストですね!

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さて、下の写真は、二重北面屋根下地(母屋・垂木)を設置した部分です。上で述べたように、現代では土の代わりに桟を屋根に積んでから、瓦を置いていきます。目的は軽量化、重くなりすぎないためです。右が北になりますが、桟が加わっています。屋根の左側手前はまだ完成していない状態です。

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屋根下地の上には、瓦桟という桟を重ねていきます。ほぼ同じ形状のものを二枚重ねて設置していきます。下は東面と南面が完成した状態です。

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近づくと、野地板(のじいた)と呼ばれる屋根板の上に格子状に桟が設置されたことが分かります。

ここで更に瓦刳り(かわらくり)という作業がされています。茅負(かやおい)という、手前の赤い部分が波模様のように彫り込まれています。

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更にアップするとこんな感じです。二枚の桟が重なっている様子がよく分かる一枚です。​

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この上に瓦を載せていきます。まずは、平瓦(ひらがわら)とよばれる瓦です。一番手前の唐草紋様(からくさもんよう)が入ったものだけは、軒平瓦(のきひらかわら)と呼びます。この唐草の図柄も、奈良文化財研究所にある瓦の研究室(考古第三研究室)が細かなデザインを指示しています。真ん中にトランプのクローバーやハートみたいな意匠があしらわれていて、綺麗な柄ですよね!

その奥にたくさんの平瓦が並べられていきます。

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下は屋根の端っこの部分です。隅棟(すみむね)の端です。どうしても重なってしまう部分は、作る前から、斜めに端をカットしていることが分かります。全部同じ形ではないのです。

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全景はこんな感じです。並べる前の部分には瓦が積んでありますが、これを瓦間配りと呼びます。実は屋根のどの部分に載せるかを、この前の段階でかなりの時間をかけて選定してあります。一つ一つの微妙なそりの違いを見分け、おなじ「そり」のある瓦を近くに集めています。目的は、雨が門の中に入り込まないよう、外側に水をながしやくするためです。門の外側にむけて、低くなるように考えて分別しています。この選定作業の方が並べるよりも時間がかかるとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちなみに、左上に実寸で印刷した瓦の並べ順の見取り図が設置されています。見取り図のアップは下の写真です。

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平瓦が全て葺き終わりました!ほぼ全面、屋根が灰色に変わっています。

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綺麗に並べられています。斜めも一直線に下から上まで平瓦が見えるように葺かれています。

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下の端っこの部分(隅棟の端)のカットは、半分くらいの大きさしかないものもあります。針金は瓦を留めていくためにニョキニョキ生えています。平瓦と平瓦の間に滑り止めも挟まれていますね。これらは古代は土でした。しかし、重くなりすぎてしまうため、現代の技術を使っているのです。

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平瓦の上に丸瓦が重ねられていきます。一番外側だけは軒丸瓦(のきまるがわら)と呼び、蓮(はす)の紋様が入っています。下の写真で、左側の軒丸瓦は取り付けたばかりなので、まだ白い覆いが付けられています。繊細な模様なので、取り付けまでの衝撃で傷まないようにです。

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葺かれる前後の列が同時に写っています。桟の上に漆喰を載せて、上から丸瓦が葺かれていく様子が分かりやすい一枚かと思います。

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軒丸瓦のアップが下の写真です。真ん中に複弁で8枚の花弁の蓮がモチーフになっています。中心の丸は蓮の種。花びらの外側の丸は珠紋と呼ばれます。一番外側に三角で大きめのギザギザがあしらわれているのが、かわいらしいですね(笑)。

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端の部分の瓦の合わさり方が、完璧ですね!その上に立てられている金属の棒の部分には、ここから別の瓦を載せて、隅棟(すみむね)という棟を作り、先端に鬼瓦(おにがわら)を載せていきます。

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丸瓦の上の方を葺いている様子です。瓦職人でもないとこんな場面は見られない!ということで、撮影してしまいました。

なんと、隣の瓦と高さを合わせるため、棒で揃えているんです。こういう細かな作業が直線美を生み出しているんですね!​

どのカタチにそった瓦を屋根のどこの部分に載せるかの設計図です。

とてもカラフルで素敵です。

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丸瓦が全て葺き終わった状態です。まだ、軒丸瓦の先には、白い保護がついています。瓦は結構もろいので、工事の時にぶつかったりすると欠けてしまうこともあります。ただでさえ、さきに細かな模様がついていますからね・・・。

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角度を変えて、真横から見ると、上から下まで隙間なく瓦が葺かれた様子が分かります。滑り台を見上げたような角度での写真です。

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丸瓦の次は、大棟(おおむね)と呼ばれる部分を作っていきます。大棟というのは、建物の屋根の一番高い所で、矢印の間の部分の名前です。二重組立の最後に、ここに棟木(むなぎ)を据え付けていました。

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大棟の上に登って撮影した写真です。ここに登るには、墜落防止のために、ハーネスと呼ばれる安全帯を装着し、背中にワイヤーを付けます。足を滑らせると危ないからですが、瓦屋根の上は、うっかりするとツルっと滑りそうな感じです。

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上下の写真は、台熨斗(だいのし)とよばれる瓦を大棟に載せた状態です。大棟の上には、何枚も瓦を積み重ねていき、まとめて熨斗瓦(のしがわら)と呼ばれます。一番下を台熨斗と言います。

​ちなみに、その上が肌熨斗(はだのし)、その上が糸熨斗(いとのし)、一番上は天熨斗(てんのし)や割熨斗(わりのし)とよばれます。その上に雁振瓦(がんふりかわら)を重ねます。

​台熨斗が途中までできているのが下の写真です。瓦の下に敷かれている灰色のものは漆喰です。これも水が染みこまないようなものを使っています。

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熨斗の名称は下の図をご参照ください。(井上新太郎『本瓦葺の技術』(彰国社、1974)という本に載っています。)

熨斗の名称.png

大棟の端には、鴟尾を取り付ける前に、瓦をどこまで積むかを確認するために、鴟尾と同じ大きさに作られた木の箱が据付けられるところでした。

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上からのぞき込むとこのような作りになっています。

この箱は、鴟尾の大きさを確認するためのものなので、鴟尾を取り付ける前に外します。鴟尾の周りに瓦をきちんと嵌め込むために、こんなひと手間があるのですね。

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ここに取り付ける鴟尾(しび)が完成しました!金メッキで輝いています!

鴟尾は、格の高い建物の大棟の端につけるもので、雨水の染み込み防止と装飾の役割があります。

​唐草紋様(からくさもんよう)と珠紋(しゅもん)で飾られていますね。

また蓮華紋様(れんげもんよう)が一つついています。大極殿は二つ、朱雀門はなしということで、その間の建物の格を示しています。

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鴟尾が取り付けられました!鴟尾支持束にすっぽり被せられています。この写真ではまだ仮置きしただけですが、周りの形も整えられていきます。

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大棟と鴟尾のカットです。大棟は上記のようにたくさんの瓦を積み重ねて作っており、その端に鴟尾がピタッとはまるようになっています。

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全景はこんな感じになりました。鴟尾はクレーンで吊上げて、鴟尾支持束に嵌めこみます。その様子は報道陣に公開され、小さなニュースにもなりました。

加えて、降棟(くだりむね)部分に、鬼瓦も取り付けられています。

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初重では、野地板(のじいた)と構造用合板(こうぞうようごうばん)が取り付けらていました。この上に桟を渡し、こちらも瓦を載せていきます。壁の塗装もすすめられています。まだこの上に塗り重ねていくのですが、この状態では、ダイヤの形のようにうっすら線も見えます。凸凹をつけて、上の塗装が落ちにくくなります。

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隅棟(すみむね)の鬼瓦も取り付けられていました。奥に降棟(くだりむね)の鬼瓦も見え、上に鴟尾も見えるという事で、下の写真は、鬼瓦の展示(平城宮跡歴史公園第一次大極殿院南門復原整備記念特別展「鬼神乱舞―護る・祓う鬼瓦の世界―」展)のリーフレットをはじめとして、色々使われました。

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これは鬼瓦の裏です。銅製の太い針金によって、真ん中の二か所で止められていることが分かります。なかなか見ることができない貴重な一枚です。

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大棟部分は、まだこれから載せる瓦も見えます。この状態を瓦間配り(かわらまくばり)と呼ぶんだそうです。

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全景はこんな感じになりました!結構、屋根らしくなってきたように見えます。

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初重の屋根はこんな状態(下の写真)です。桟が載せられている様子が分かります。瓦下地母屋(かわらしたじもや)と野垂木(のだるき)が取り付いた状態です。

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初重の屋根には、高欄(こうらん)をつけるので、写真中央左寄りの、逆T字の木組みが取り付けられています。この逆Tの木材を、高欄支承束(こうらんししょうづか)と呼びます。高欄を支える束ということですね。

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もうひと重ねの桟がつけられた状態が、下の写真です。高欄支承束の下の木材は完全に隠れてしまっています。

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桟がつけ終わり、初重も平瓦を葺いていきます。置く場所を振り分けられた平瓦が並べられている状態が下の写真です。

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写真の右端に写り込んでいる職人さんが何をしているのかは、下の写真をご覧ください。

​瓦刳り(かわらくり)という、平瓦の形に合わせて、波の形に茅負(かやおい)を削り取る作業の後、外側を丹土(につち)で塗装しているのです。

外側に白い部分が見えないよう、こんな作業もあるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二重の屋根は、ほぼ完成しています。大棟に綺麗に熨斗瓦(のしがわら)が葺かれた様子が下です。灰色の瓦の間に木が挟んであるのは、瓦の間に置いた漆喰が固まるまでだそうです。この差し込まれている木ぎれを「飼い木(かいき)」と呼んでいるそうです。

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全景はこんな感じです。まだ、妻(つま)と呼ばれる部分が完成していないので、足場は残ったままですが、二重の屋根はこれで完成です!

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さて、大極門の屋根には、いくつかの鬼瓦が使われています。

二重に8個、初重に4個の合わせて12個です。

 

この鬼瓦については、奈良文化財研究所初の通史展示が行われました!

展示そのものは、別の頁で扱いますが、大極門に使われた鬼瓦の写真をご紹介します。

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この鬼瓦は、平城宮ⅠA式と名前が付けられた鬼瓦です。鬼瓦と言っても、初期のものは鬼の模様ではなく、この鬼瓦が、鬼が表現された”初”なのです。また、鬼の顔だけでなく、全身が表現されるのもこの型式だけ!ということで、かなり貴重なものなのです。

この写真は、発掘調査で見つかったものを元にして、復元研究がなされたたものです。30年前の研究と比べると細部の意匠がいくつか、はっきりと判明して、その結果が活かされています。(詳しくは展示の頁をご覧ください!)

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この鬼瓦の元になった出土品は、平城宮跡資料館などで、型抜きポストカードになって、販売されています。

 

では、この辺りで、次のページに続くことにします。細かい金具や高欄が取り付けられていき、大極門完成!です。

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