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​Daigokumon

第一次大極殿院

大極門

二重(二階部分)の組立

このページでは、門の二階部分に当たる、二重の組立についてみていきましょう。​上層の屋根部分を組み立てる様子です。

 

大極門では、初重の上に二重の柱を重ねて乗せる構造になっています。一階部分と二階部分が一本の柱でつながっていない状態(管柱(くだばしら)といいます)です。(ちなみに、つなげているのを通し柱式と呼びます。)

重ねて乗せる二重の柱の土台が、二重柱盤(はしらばん)と呼ばれます。

下の写真の、四隅が井戸の枠のように、十字に組み立てられている部分です。

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上から見ると、井戸枠のようですが、横から見ると、角ばった長靴のように飛び出して成形されていることが分かります。

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この上に二重(上層)を支える柱を立てていきます。金属の足場の内側に、朱色の柱が立てられた状態が下の写真から分かるでしょうか?

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上から見ると、組み立てられた柱の上部が、この後のために、きちんと切整えられていることが分かります。上部に一本木材をはめ込んで、柱がぐらつかないようにするのです。

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​さて、この切り整えられた柱の上に木材を載せていきます。初重(しょじゅう)でも説明したように、頭貫(かしらぬき)と呼ばれる木材です。

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ピッタリはまったのが、分かります。頭貫の上に開けてある小さな正方形の穴は、現代の方法で補強するための金属部品のための穴です。下の写真は金属プレートが取り付けられたものです。

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下の写真は、金属プレート取り付け前ですが、全体を上から見ると下の写真のようになります。周りにたくさんの足場が見えますが、これは大工さんのやりやすいように設置されているとか。事前に大工さんに意見を聞いて施工しやすい足場を設置する試みは、この現場が初めての取り組みだそうです。

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さて、二重も一の肘木から組み立てていきます。上に二の肘木が乗せられるように切り欠かれた部材が組み立てられています。

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近くで見ると、下の写真のようになります。タテ・ヨコ・ナナメに部材を載せていくのです。

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タテ・ヨコ・ナナメに部材を載せた状態が下の写真です。建築用語では二の肘木組立(にのひじきくみたて)が終わった状態です。

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斜め45度から見ると、升(ます)の間に同じ幅の切り欠きが入れられているのが見えます。ここの上にも材木を置くのです。 

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この材木を組立て終わった状態が三の肘木組立完了になります。

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同時に、現代の建築基準法に合うように金属で補強も入れています。これによって、古代より頑丈で、地震が来ても中にいる人が、門の下敷きにならず、避難できる程度にはなるとか。

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更に上に四の肘木を組み立てます。下の写真は、四の肘木と尾垂木掛(おだるきかけ)を組み立てたところです。朱色に塗装されているのが肘木、その内側の木の色の枠が、尾垂木掛です。

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尾垂木掛に載るように、ぐるりと一周、尾垂木を組み立てました!まっすぐに組み立てられるように、細い糸を目印に張っているのも確認できます。

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尾垂木の上に丸桁(がぎょう)を組み立てていきます。同時に、小天井受・小天井組子・小天井板・地隅木(じすみぎ)・飛檐隅木(ひえんすみぎ)までも組立てられたのが下の写真です。初重と同じ行程を辿っています。

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横から見ると、下の写真のようになります。地隅木と飛檐隅木がアップされています。このようにして、軒を延ばして、建物を大きく見せる工夫をしていたと考えられています。やはり、大きいものは迫力がありますからね!近くで見ると、随分近くまで迫ってきたなという感じでした!

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さて、その後二週間で、二重の地垂木(じたるき)・木負(きおい)・面戸板・母屋桁(下段)・小屋梁(下段)・妻面扠首が組み立てられました。いっきに組立が進んでしまっていますが、一つずつ説明していきます。

二枚上の写真から、一番最初に気が付きそうな違いは、屋根のあばら骨に当たる地垂木が加わったことでしょうか。外側が赤く塗られている細めの木材です。塗られているのが一部なのは、完成時に外から見える部分のみ着色しているからで、これは古代も同じだったようです。

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下の写真では、妻面扠首が見やすくなっています。

三角定規のような形状のものがにょきっと両端に立ち上がっていますが、これは妻面扠首(つまめんさす)と呼ばれる部分です。

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母屋桁(下段)と小屋梁(下段)は、少々難しいので、下の図を参考にしてください。母屋が建物の真ん中辺りにありますが、そこに建物の横長の部分(棟に並行)にまっすぐ通した木材が母屋桁(もやげた)です。小屋梁(こやばり)は、建物の縦長の部分(梁に並行)に通した木材です。

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木負(きおい)と面戸板(めんどいた)も、細かいです。木負は、この上に飛檐垂木を載せるために、凸凹をつけた部分(太い矢印の先)、面戸板は、白くて上が広がった器、もしくは白磁(はくじ)の器のようなものが、並んでいる部分(細い矢印の先)です。垂木と垂木の間の隙間を塞ぐ役割をしています。ちょっと変わった形なのは、垂木のカタチに合わせて、整形してはめ込んでいるからなのですね。面戸板は、古代にはなかったそうですが、これをつけることで、門の内部に鳥が入り込んでしまうことを防ぐために取り付けられています。

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より近づいて見てみましょう。地垂木・木負・面戸板・妻面扠首がどれを指すか、分かりますか?面戸板がピタッと合わさっているのも見えるかと思います。

母屋桁(下段)と小屋梁(下段)は、すでに隠れてしまって、少し分かりにくいかもしれません。

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ここから一週間、棟束(むなづか)・棟木受(むなぎうけ)・棟木(むなぎ)が組立てられました。屋根の中央部分が、かなり背が高くなっています。屋根の背骨に当たるのが棟木です。棟束と棟木受は、棟木の下にあって、棟木を組立る前に、棟木の土台として組み立てられた部材です。

地垂木の上に乗せられた白木(しらき)の板を化粧裏板(けしょううらいた)と呼びます。この板は完成した時に、下から見上げると見える板です。建築の世界では仕上げることを「化粧」と呼ぶのですが、下の写真では見えない板の裏は白く塗られていて、完成時に見えるのです。

南門の屋根は入母屋造(いりもやづくり)という屋根の形で復原工事が進められていますが、切妻造(きりづまづくり)という屋根の場合、この化粧裏板が同時に野地板(のじいた)とも呼ばれることがあります。

​南門では、この後、野地板も別に載せていきます。

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下から見上げるとこんな感じです。大分威圧感のある高さになっています。

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10日後は、野垂木(のだるき)、飛檐垂木(ひえんたるき)、茅負(かやおい)が組立てられていました。先ほども出てきた「野」とは、粗野なるものという意味から、建築用語としては、美しく仕上げていない部材に就く言葉です。完成時に見えない部分なので、「野」を頭につけています。英語のnoのように、否定する意味合いの言葉なんですね。「この野郎!」という言葉、は「男でない奴め!」みたいな意味合いがあることになると思うと面白いですね!江戸時代の「野郎歌舞伎」なんかも、男性が女性に扮した歌舞伎ですから、この意味でとって良さそうです。

下の写真では屋根の上部に、より急傾斜をつけて並べられている垂木が野垂木です。

​上の地垂木を更に外側に延ばすように取り付けられたのが、飛檐垂木です。飛檐垂木の上に横長に置かれた木材が茅負です。

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下から見上げるとこんな感じです。手前の赤く塗られた部材が茅負です。

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破風板(はふいた)・破風裏甲(はふうらこう)・枝外垂木(しがいたるき)・野隅木(のすみぎ)・鴟尾支持束(しびしじづか)が組立てられました。

屋根の三角形の部分の上の二辺に赤く塗装された木材が増えていますが、これが破風板です。

また、枝外垂木は妻壁の外側にある垂木のことで、赤く塗装された垂木です。

まずは全体写真をご覧ください。

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破風板の上に破風裏甲もあります。下の写真なら、破風板の上に破風裏甲があることが分かります。また、野隅木も破風板の下に取り付けられています。

鴟尾支持束(しびしじづか)は、てっぺんに突き立てられた部材です。この上にすっぽりと鴟尾をはめていくものです。

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近くで見ると、部材に黒字で文字が書いてあるのが見えます。「二重野隅木」とか読めるでしょうか。名前から、二重(二階部分の)の隅部分に組み立てる部材ですが、完成時に見えないので、「野」がついているということが分かります。

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さて、二週間後には野地板が取り付けられました。先ほど、化粧裏板の時に出てきた言葉です。「野」がついているので、完成時に見えないですが、この板を取り付けて、ようやく屋根っぽくなってきたことが分かります。

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横に三本ついている木材は作業のための足場です。

この上に瓦を葺いていきます。

瓦を葺くのは、雨漏りを防いで、建物を長持ちさせるためです。

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全体像はこのような感じになりました。

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これに、構造用合板が取り付けられたのが、下の写真です。少し濃い色の板が加えられたのが分かります。現代工法で建物を丈夫にする一例です。耐震性や耐風性を飛躍的に高めることができるとか。見た目は古代ですが、技術が進歩した分、古代より丈夫に作って、長持ちさせたいと考えている訳です。奈良時代の大極門は、最長で38年間しか建っていませんでした。

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さて、下の写真では、足場が取り払われ、真ん中に白い台が据え付けられています。何が始まるのでしょう?

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実はここまでで「木部(もくぶ)」と呼ばれる、門の中心部分ができ上って、「上棟式(じょうとうしき)」や「工匠式(こうしょうしき)」と呼ばれる儀式が行われるのです。儀式では大棟に最後の棟木を取り付ける所作が行われます。

​下は儀式の始まりに大工さん一同が礼をしているところです。

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儀式では幣(ぬさ)が神主さんから、大工の棟梁(とうりょう)に手渡されます。青い着物の人が棟梁です。

屋根に仮に設置された階段で、左上の白い台まで登り、儀式を行います。

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大声で口上を述べる様子です。

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台の上で棟木を打ち込む所作が行われています。

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無事に式が終わりました!大工さんたちの集合写真です。

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棟札(むなふだ)という木に墨で書かれた札も作成され、納められます。この棟札があることで、建物が「いつ」「誰によって」作られたのかが、後の時代にも分かります。建物の来歴を読み解く証拠として、大事なものです。建築史という学問でもこの棟札は大切にされる資料です。

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以上で、二重の木部の組立がひと段落しました。2020年5月末のことでした。ちょうど、新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言が終わったころです。多くの施設が休館となりましたが、この現場は止まらず、作業は続けられていました。大工さんの給与は日給なので、仕事がなくなる方が困るという事情もあったようですが、人権という事を考えると、考えさせられます。

工事はここから屋根の工事に入ります。木を組み立てる専門の大工さんとバトンタッチして、瓦職人さんが作業の中心になります。

ただ、門の内部は木でできていますので、そこの作業はこれまでの大工さんも関わります。

組立の紹介ページも④_屋根1という部分に続きます。

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